ゆとり教育と詰め込み教育の違いから改めてビジネスに才能いらないと実感

どうも、しょーへいです。

 

 

今回は学校の教育方針とオリンピックでの水泳のメダル獲得数に関連性があるという面白い記事を見つけたので、

いろいろ考えたことをアウトプットしていきます。

 

 

最終的に今日言いたいのはビジネスやるのに才能やセンスは必要ないということです。

 

とは言っても僕の場合は「慶應生だから頭が良くてビジネスできるんでしょ?」

と、よく言われてしまいなかなか信じてもらえません。

 

だから今日は違った角度から本当に才能やセンスは必要ないのか考えていきます。

ではまず最初に僕が見つけた記事について説明していきます。

 

 

日本の学校の教育方針は大きく2つに分けると「詰め込み教育」と「ゆとり教育」にわかれます。

 

詰め込み教育はとにかく知識を詰め込むことが重視されて、

ゆとり教育は考える力を育てる発想重視の教育がされてきました。

 

 

当然ながら僕は完全にゆとり世代です。

小学校の2年生から急に土曜授業がなくなって不思議に思ったことをまだ覚えています。

 

 

じゃあこの2つの教育方針が水泳のメダル獲得数とどう関係してくるのか?

 

 

最近でこそ日本は北島康介や萩野公介などの世界で戦えるトップスイマーを輩出してますが、

1960年後半から1990年代前半の約30年間ほとんどメダルをとれなかった時期があります。

 

7回もオリンピックがあったにもかかわらずメダル数は合計でたったの5個。

この前のリオでの成績だけを見ても7個なので非常に少ない数字です。

 

 

それから水泳が強いのは最近だけではありません。

ちなみに60年代より前では日本は水泳大国と呼ばれ、1大会で10個以上メダル獲得していたそうです。

 

 

つまりは水泳の成績が60年後半から90年代前半の時だけポッカリ悪くなってるのです。

そして記事では詰め込み教育が原因の1つだと断言してました。

 

 

それはなぜかというと、戦争に負けたことが大きく影響してるのです。

 

 

戦後の日本はまずボロボロになった国を建て直すことが至上命題でした。

だから全体のレベルを上げるために底上げすることを中心に考えます。

 

 

底上げするということは優秀な人をさらに伸ばすという意欲は全くなくて、

とにかく落ちこぼれをなくしてみんな同じレベルにしようという教育方針でした。

 

ここまで話せばメダルが取れなかった理由がわかるはずです。

 

 

詰め込み教育には子どもたちの能力を極限まで引き延ばそうという思想はなくて、

国のために最低でもこのレベルまでは到達してくれればいいというものでした。

 

上は伸ばさなくていいけど、下を引き上げることに集中しました。

 

その結果オリンピックという世界の大舞台で結果を出す選手は少なくなりましたが、

だんだん日本という国は高度経済成長のおかげで豊かになっていきました。

 

 

そして国に余裕ができると当然ながら人の心にも余裕が出てきます。

そうなると子どもの個性を大事にしようというゆとり教育が始まっていきます。

 

 

今までは学校側から一方的にあーしろこーしろ言ってきたけど、

これからは子供たちが自分で考えるように教育しようと時代の流れが変わったのです。

 

 

そして個性を大事にする教育に切り替わると、

才能のある選手は次々と頭角を現すようになりました。

 

 

例えば僕と同学年のアスリートは若い頃から世界で活躍する選手がめっちゃいます。

野球でいうなら二刀流の大谷選手、フィギュアスケートなら羽生選手、水泳なら萩野選手などなど。

 

 

もちろん全てがゆとり教育のおかげとは言い過ぎですが、

下をまずは底上げしようという教育から脱した影響は大きいです。

 

 

ただ僕が見た記事で1番面白いと思ったのはここからでした。

なんとゆとり教育の恩恵を特に受けたのはあくまでアスリートのみと記事では断言してたからです。

 

 

それはなぜかというと、個性というのは発想とか思考など頭の中には存在しないで、

身体能力とか運動神経に存在するものだからだと。

 

具体的に言うならばゆとり教育で伸びるのはアスリートなどの身体的才能が重視されるもので、

芸術家や学者などはその類ではないということです。

 

 

つまりはゆとり教育では「想像力」や「発想力」なんてものは伸びないで、

身体的な才能が突出してる子が早くから発見されてそれを伸ばすケースが多いということでした。

 

 

身体的な才能とは他人よりもずば抜けて身長が高いとか足が速いとか肺活量があるとかです。

 

 

で、運動神経とか身体能力はもう生まれた時にある程度限界が決まっていて、

優れてる人は他人よりもスポーツの上達が早かったりショートカットすることができます。

 

でもこの記事では知識とか思考の部分に関しては才能とかは関係なく、

ショートカットすることはできないと言ってるのです。

 

 

極端に例えると足し算がわからないのに方程式を解くことはできないし、

アルファベットの読み書きができないのに英文法はわからないのです。

 

 

知識をもとに思考力を上げていくには当然ながら知識に触れる機会がなければ、

新しく発想することができないというわけです。

 

 

ようは身体的な才能は生まれた瞬間に多くの部分で決まってるから、

小さい時からその能力に気づけば順調に伸びていく。

 

だけど知識とかはどんな情報に多く触れたのかという環境に影響を大きく受けるから、

才能やセンスとは別問題だよねということです。

 

 

僕がビジネスを始めたのは発想力が豊かだったからではありません。

知識もないのに発想なんてできませんからね。

 

僕が始めたきっかけはたまたまネットビジネスに出会っただけで、

才能とは無関係です。

 

たまたまネットビジネスの情報に触れて興味が湧いただけに過ぎないのです。

 

 

で、僕自身はちゃんとビジネスを学んでからはまだ1年も経ってないです。

(始めにせどりをやってる頃は思考せずに作業していたので。)

 

受験勉強でやったことは1つも役に立たなかったので、

ゼロからビジネスを学びました。

 

 

それでも1年経たずに人に教えられるレベルには十分になりました。

 

 

僕がやったことは特別なことは何もありません。

 

正しい知識を学んだら忘れないように何度も繰り返し動画や文章でアウトプットして、

頭の中を整理して知識を使いこなせるようにしただけです。

 

しかもビジネスに必要な知識は思った以上に少ないです。

 

 

分厚いビジネス書を見て必要な知識が膨大に感じるのは知識が体系化されてないだけです。

つまりは学ぶ優先度が低いものばかりだということです。

 

 

また体系化されてないがゆえにビジネスをしっかり正しい知識で学んでる人が圧倒的に少ないです。

ちょっと学ぶだけですぐに周りと差がつきます。

 

慶應の友だちとビジネスの話をしても絶対に話噛み合わないです。

それは偏差値が高いのとビジネスができるのは全くイコールではないからです。

 

 

そしてネットビジネスのスキルは言い換えるならば個人で稼ぐ能力とも言えて、

大企業の雇用でも不安定な今では誰にとってもこれから生きていくのに必須のスキルです。

 

 

だからこそ僕は相手が誰であろうと自信を持ってネットビジネスをすすめています。

 

 

僕の周りにいる稼いでる人が全て高学歴な人かと言われるとそうではないし、

慶應生でビジネスやる人なんて全然いません。みんな就職するのが普通です。

 

 

だから結局は知ってるか知らないかだけなんです。

 

 

ネットビジネスに出会っただけで大きなアドバンテージだし、

自分の人生を思い通りにできるチャンスなんです。

 

 

そしてあとは1歩を踏み出すだけ。

僕が初心者の方にすすめてるのはハピタスというものです。

 

これは30分ほどで1万以上は軽く稼げてしまうので、

個人でも簡単に稼げるという感覚を実感するのに適しています。

 

詳しくはこちらの記事で話してるので興味のあるかたはご覧ください。

 

 

というわけで今回は以上です。

ありがとうございました。

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